良い幼児教育とはなにか
幼児教育の重要性が注目されています。特に近年、学力以外の【非認知能力】の形成こそが重要という説が主流になっているのは、日頃関心をもってこの分野をチェックされている方々にとってはもはや常識でしょう。
このあたりの研究は、2000年にノーベル経済学賞を受賞したジェームズ・ヘックマン教授や、その成果を世に知らしめたポール・タフの本に詳しいです。
▪ 目次
非認知能力とは
非認知能力は大きく9つにわけられると言われています。
- 自己認識:自分に対する自信、やり抜く力
- 意欲:やる気、意欲
- 忍耐力:忍耐強さ、粘り強さ、根気、気概
- 自制心:意志力、精神力
- メタ認知ストラテジー:自分自身の理解度・状況の把握
- 社会的適正:リーダーシップ、社会性
- 回復力と対処能力:すぐに立ち直る、うまく対応する
- 創造性:想像、工夫
- 性格的な特性:神経質、外交的、好奇心の強さ、協調性、誠実
これら非認知能力の多くが、教えて伸びるスキルではなく、子ども自身が幼児期の環境やその環境への働きかけ(=「遊び」、「暮らし」)を通じて培っていくものであることは異論のないところかと思います。例えば、つい先日もこのような記事がありました。
この分野の研究者のみならず、幼稚園・保育園の先生、小学校の先生、果ては教育産業に携わる人気家庭教師までが、おしなべて「遊び」や「暮らし」の重要性を強調しています。にもかかわらず、日本における潮流がいまだ安易な早期教育に流れがちなのは皮肉なことだといわざるを得ません。
新学習指導要領の原型は幼児教育
2020年教育改革によって新しくなる教育指導要領ですが、実は、そこで示されている学力観もまた幼児教育が下敷きとなっています。
これまで、学力といえばおもに「知識・技能」の量を指し、「何を知っているか」が問われてきました。今後は「知識・技能」をもつだけでなく、それらを自在に、自分らしく使いこなして「何ができるか」「どのように問題解決を成し遂げるか」までを目指します。これを「資質・能力」の育成と呼び、今回の学習指導要領改訂の大きなテーマとなっています。
一方、幼稚園・保育所では、もともと遊びを通してていねいに「資質・能力」を育てる教育が行われてきました。子どもたちは遊びの中で様々な発見をします。自分がやりたいことをもっとうまく、楽しくやるためにはどうすればいいか考え、工夫し、自在に想像力を発揮します。友達と意見がぶつかることもありますが、その中で相手を思いやることや協力することを学んでいくのです。これはまさに「主体的・対話的で深い学び」です。
主体的に学びを進めていく意欲や姿勢、また、友達や仲間との関わり合いの中で深めていく 対話的で協働的なアプローチは、心の柔らかい時期ほど大きく芽を伸ばすものなのでしょう。
冒頭に名を挙げたヘックマン教授も「若ければ若いほど、様々な潜在能力を創ることが容易です。潜在能力は互いに少しずつ積みあがっていくものだからです」とかつてインタビューに答えています。
また、幼児教育の父フリードリッヒ・フレーベルも「子どもは5歳までにその一生涯に学ぶすべてを学び終える」という名言を残しています。
就学前の"早期教育"によって失うものとは
新年度まであと2か月を切ったこの時期、新入学のお子さんがいらっしゃる親御さんは心配が尽きないことでしょう。勉強についていくことはできるだろうかと先回りして、慌てて読み書き計算を教え込んでいらっしゃるご家庭もあるのではないでしょうか。
お子さん自身が就学を前にして自ら学び取りたいという意志を表しているならまだ良いとは思いますが、その気構え・準備もないままに、親の焦りだけで進めてしまうのは、効率が悪いばかりか、もしかしたら大切な成長のチャンスを逃してしまうかもしれない、そんな風にも思います。
ファンタジーの手触り
子どもたちがかつて通っていた幼稚園の先生がこんなことをおっしゃっていました。
「絵本を読んでいるとき、文字を読めない子どもたちは絵を眺めることによって、直接ファンタジーの世界に触れることができる。物語の中に身を置くことができる。もし子ども本人が望んでいるのでなければ、無理に文字を教え込むのではなく、今、この時期に限られるそうした体験を、ぜひ存分に味わってもらいたい」
たしかに、いったん文字を覚えてしまうと、それまでの絵本との付き合い方に戻ることは難しいかもしれません。記号(文字)を通してでない分、没入感や手触りもより直截的なものであることでしょう。記号を知ってしまうということは、とても便利な反面、記号を通さずに感じることができていた体験を失ってしまうことを意味するのです。
集中し没頭する幸せな時間
「フロー」という言葉をご存知でしょうか。心理学者のミハイ・チクセントミハイによって提唱された理論・概念で、対象に完全にのめり込んでいる精神状態のことを言います。スポーツの世界では「ゾーン」と呼ばれたりもしますし、「無我の境地」「忘我状態」と聞くとイメージがわきやすいのではないでしょうか。
子どもが内側から湧き出る動機に促され何かに没頭しているとき、恐るべき集中力で何かを学び取っていることは、子育てをされたことのある方なら誰でも知っていることと思います。いかにフローに入りやすい環境にするか、また、フローに入った状態を見守るかが保育者や親の腕の見せどころであるといっても過言ではありません。
外発的な動機づけではフローには入れないと言われています。変わらない毎日の安定感や安心感があり、かつ、季節性や歳時等の要素を自然に取り入れながら心が動きやすい環境を整えること。やりたいことが見つかったら徹底してやりきれる時間や空間を提供すること。そうした積み重ねの上に集中する力が養われるものだと信じています。
安易な早期教育に走り、せわしない日々になるほど、環境への適応にエネルギーが使われて、遊びが途切れがちとなり、深まりません。人よりもほんの少しだけ先に読み書きや計算ができるようになることがそこまで価値のあることなのかどうかは再考の余地があると個人的には思っています。
ここでまた幼稚園の話になります。先生方は子どもが遊びをとことん深めた、本人がやりきったという達成感を得たと見取ったタイミングで、視点を少しだけ脇にずらしたり、遊びに変化がもたらされるような要素を、直接ではなく間接的に、環境の側に加えていたように見えました。見守っているだけに見えて、そうではない。世界の拡張。プロフェッショナルの仕事だと感じました。
勉強するのは親のほう
古今東西、親は子どもに勉強することを、ときに期待し、ときに強いる存在だと思います。しかし、その方法が時代錯誤なものだとしたら、とても悲劇的なことです。
以前、幼稚園教諭の養成課程を担当されている教授とお話する機会がありました。その中で、とても印象深かった言葉があります。「教育実習や保育実習の機会はあっても、親支援を実地で学ぶ機会が少ない」というものです。教育や保育は幼稚園・保育園だけで完結するものではありません。親が積極的にアップデートしていかなければ、どれだけ園での「遊び」や「暮らし」が充実していても、効果は半減してしまいます。子どもを見守る二人三脚の良きパートナーとなれるよう、良い環境が園と家庭で地続きになるよう、ちょっとだけわが身を振り返り、意識してみるのも悪くないかもしれませんよ。
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